もうすぐ10年目

2005年1月11日 日常
まだ覚えてる。

突然の激震。
逃げることはおろか、身を起こすこともできなかった。
あまりの揺れに三半規管が狂ったのか、
建物が傾いて、崩れていくのだと思った。
窓越しに、地震で生じたらしい
電磁波の青い閃光が見えた。

ああ。このまま瓦礫に埋もれて死ぬんだな・・・と思った。

死にはしなかったが、揺れが収まった途端、
むっとするよう熱気が部屋に充満した。
火が出たのかと思ったら、給湯パイプから熱湯が吹き出していた。
6階の部屋なのに、よもや熱湯で床上浸水するとは・・・

ガラスと陶器の破片だらけの台所を横切って、玄関から脱出。
隣の住人の携帯電話を借りて、親に無事を報告した。

大阪市内なのに、ワタシが住んでいた淀川区周辺では、
軟弱地盤が災いして死者も出ていた。

やがで夜が明けた。
ワタシの知る限り、最も静かな朝だった。
JRも阪急も地下鉄も運転を中止して、
全ての騒音が消え去った大都会を見た。

その後は地上では無数のサイレン音。
上空は自衛隊のヘリコプターの列。

停電の中、電卓で頑張ったコンビニの兄ちゃん。
箕面から数時間の渋滞を越え、水を運んでくれた友人。
給湯設備が復旧するまでお風呂を使わせてくれた元同僚。

助けてくれた人のことは、もっとはっきり覚えてる。

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