なぜ、愛らしい少女に対して、
あれはど残酷なことが出来るのか、という疑問への
ワタシなりの考察。

?肉親愛の欠如

両親が犯人の幼児期〜成長期に育児放棄、
または虐待していた場合、
その子は生涯に渡って「愛された」
という実感を持つことが出来ない。
この場合、過保護、過干渉も、子供の人格を認めていない、
という点で同罪である。

究極にして無償の肉親愛こそが、
全ての愛情表現の基礎になる。
それを正しく実感することの出来なかったであろう犯人が、
正しい愛し方を知っているはずはない。

奈良県の事件の犯人にとっては、
少女を愛撫することではなく、
ただ一方的に傷つけることだけが、
唯一の愛情表現の手段だったのだろうか。
犯人は彼女の人生のある一瞬を支配したいと願い、
そして永遠に所有できないがゆえに殺害する。

今もまた、彼女の遺物に触れながら、
あの束の間の「歓喜の瞬間」の余韻に浸っている。
出来ることなら、もう一度再現したいと願いながら・・・

その一方で、最も重要な遺物の一つである携帯を、
不用意に使用している心理には、
ひそかに「誰かに自分を止めて欲しい」と願っている
一面があるようにも思われる。

?強烈な疎外感

「自分が尊厳を以って扱われていない」という現実、
または被害妄想。
だから「自分が他人を同じように扱うのは当然だ」
という理由付け。
仕返しの心理というには、あまりにも身勝手で冷酷で病的だ。
宅間守に下された診断でもある、
「反社会性人格障害」という言葉を思い出させる。

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