ヒロイン病・・・とでも呼べばいいのか。
平凡な日常に満足できない種類の女がいる。

ワタシが身近に観察した症例(仮にAとする)では、
原因は妹の誕生だった。
それまで両親の愛情を一身に集めていたのに、
それが全て幼い妹に向けられてしまったことがトラウマになったのだ。
第二子が生まれた後の第一子の取り扱いには注意が必要なのだが、
そこまで手が回らない、という場合が往々にしてある。
今まで容易に手に入ったものが、突然、
「おねえちゃんだから我慢しなさい」の一言で取り上げられ、
置き去りにされてしまう。
大概は癇癪を起こしたり、下の子をいじめたりすることで発見され、
事態は収拾されるのだが・・・

Aの場合は、不幸にしてその機会がないまま母親が死亡したらしい。
「らしい」というのは、Aには自分をヒロイン化したい余り、
しばしば事実を曲解する傾向があったからだ。
いや、いっそ「虚言僻」と言ったほうがいいかもしれない。
妄想僻と異なるのは、虚言の効果を理解した上で、
事実を捻じ曲げて表現しているところだ。

Aはまず「熱心で有能な社員」を演じる。
当然周囲はAに期待し、Aは注目される。
しかし職場においては、
「有能さ」はコンスタントに発揮されなければならない。
やがて「熱心で有能」であることは周囲の既成概念に埋没する。

彼女にはそれが耐えられない。

そこで彼女はさらにスキルアップするよりも、
もっと安易な手段を選ぶ。
周囲の賞賛ではなく、同情に期待するのだ。

?頑張りすぎて体調を崩す。

いや、体調管理も仕事のうちなんだが、Aにそんな視点は無い。
周囲の反応に対しては非常に敏感だが、
自らを俯瞰する際の高度が低すぎるのだ。

?薬の副作用で体調を崩す。

「私は治る努力をしている」と見せかけたいのだろうが、
やってることは全く逆だ。
症状を正しく見抜いた医者を避け、
欲しい薬を出してくれる医者に固執しているのだから。

?転職を仄めかす。

だから職場で期待されてるのは安定した戦力なんだってば。

?自傷行為。

介抱する側は内心うんざりしているのだが、
どんな形であれ、
自分が注目を集めているという事実が心地よいのだ。

残念ながら、効率最優先の民間企業には彼女の居場所はない。
狙うなら公務員か永久就職しかない。
前述の通り、この症例はより安易な選択に走るので、
結末は見え見えである。
しかも、主婦業は平凡な日常そのものであって、
当然その場には安住できない。
早晩、自ら家庭を破壊しにかかるのは当然の成り行きであって、
再び?に戻る→以下、無限ループ。

Aにとって、悪いのはあくまで自分を取り巻く周囲の状況であって、
自分は常に悲劇のヒロインでなければならないのだ。
そしてヒロインは背景に紛れ込むことを絶対に良しとしない。
勘違いであろうと、思い込みであろうと、
常にスポットライトを浴びていなければ気が済まないのだ。

秋田県の事件も、背景は大方こんなところではないのか。
娘の事件でおもわぬ注目と同情を集めてしまったことで、
彼女はその心地よさに耽溺してしまった。
男の気を引くために汲々としていた日常が一転、
悲劇のヒロインとして、
マスコミで全国ネット扱いされるようになったのだから。
なんとかしてその絶頂感を引き伸ばしたかったのだろうが、
残念ながら、彼女は才能豊かな女優ではなかった。

ヒロインを演じる女優は、
しばしば孤高の存在でなければならないのだから。

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