育児放棄と幼児虐待

これまた深刻な話なのだが、
地方都市在住のワタシの周辺でも散見される位なので、
全国津々浦々で頻発しているんだろう。

どちらも子供が憎いわけじゃない。望んで産んだ子供なのだから。
ただ、どうやって可愛がったらいいのかわからないのだ。
わからないのは経験がないからだ。

子供は無条件に親を受け入れる。
人間でも雛鳥の刷り込みに似た現象が起こっているのだと思われる。
傍から見れば、育児放棄だったり幼児虐待だったとしても、
子供にはそれが物心ついて以来の日常である。
彼らにとって親とは「こういうもの」であって、
確かに他所とは違うようなのだが、
だからと言って「取り替え」できるものではない。

やがて自分の親がとんでもない奴等だったことに気が付き、
成人して家を出て、生まれ変わったつもりでやり直そうと思う。
自分はあんな親にはならない。もっといい家庭を築きたい。
そう思って早婚に至るケースが多いのだが、
いざ子供が生まれて初めてはたと気が付くのだ。

どうやって子供を可愛がったらいいのかわからない。

乳児の間はまだいい。手のかかるペットと大差はない。
しかし子供に自我が芽生え、「人」に近づいていくに連れて、
未熟な親は困惑する。
子供からの様々な要求に対して、どう応えてよいのかわからない。
考えても考えても答えが見つからない。
だって、親に応えてもらったことがないのだから。
結局は、自分がそうされたように、子を放置するしかない。
或いは、困惑が苛立ちを呼んで、それが爆発して虐待に及ぶこともある。

しかしその後ろめさ故か、単なる見栄っ張りなのか、
そういう親に限って、外ではいい親を演じたがる。
いい親とは、子の人格を認め成長を促す親だと思うのだが、
彼らは単に甘い親を「演じる」だけである。

先に述べたように、子供にとってはどんな親もかけがいのない親だ。
だから受け入れる。いや、むしろ子が自分を押し殺して親を気遣う。
愚かな親は、やがてそんな子供に依存するようになってしまう。
親が子の忍耐に甘えてしまうのだ。
子に受け入れてもらっていることに、自分の存在価値を見出そうとする。
だから彼らは容易に子供を手放そうとしない。

それが新たな悲劇を生む温床になるとも知らずに。

つまり、育児放棄も幼児虐待も、かなりの確率で次世代に継承される。
まさに負の連鎖である。

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